失われた青春と今の世界

この題名で村上春樹が作品を作ったらきっと主人公は30代の広告代理店勤務のサラリーマンになりそうですが私は20歳、学生です。

自分を高菜クションと名乗るか、はたまたみゃふりんチョと名乗るか迷いましたがそんな彼らは中高のKGBの闇の中に消え失せたのでお相手は鯖味噌がお送りいたします。

 

先述しますが自分語りと駄文が酸の強いトマトスプレベルにキツいので読まなくていいですよ。

 

 

つい先程、ミセスLocks!!が終了しました。(休講とありますがSOL界隈ではめでたく終了を意味します。)

これでMrs. GREEN APPLEの“ミセス“としての活動が完全にシャットアウトされたことになります。「いつまでもあると思うな、親と金と推し」とはよく言ったものでいつもそこにいる大事なものはある日突然眼前から姿を消すのは世の常であります。ミセスも消えました。

こうして活動休止中のミセスを僕らが知りうるのは大森元貴RTbotと化した公式と大森元貴の活動のみとなってしまった訳です。

 

今回どうしてもそんな折に自分語りがしたくネットの海に一握の、いや1粒の砂を落としたいと考えた僕は久々にはてブロを開きました。まず最後の投稿が一昨年秋なので当然スマホは以前のやつで探し、起動し、IDを確認し、でも結局面倒なので新しいスマホにデータ移して、今は文字打ちながらやっぱPCでやれば良かったと後悔している所です。

 

 

さて、そんなこどもおじさんの僕がMrs. GREEN APPLEと出逢ったのは中学3年生のとき。僕はSCHOOL OF LOCK!!にどハマりしておりました。ウォークマン片手にやっすいイヤホン嵌め込んでせっこらせっこら毎晩飽きもせず風呂にまで持ち込んで聴いていたものです。あるとき「鍵曲ランキング」という今となってはコンプラ的にいろいろ言われそうな企画が例年に漏れず開催される運びとなりました。私は投票企画など五条勝事件以来でワクワクしておりなんと候補曲を発表直後片っ端から聞き漁るという暴挙に出ました。50曲ありました。当然終わったら4時。そのなかでKANA-BOON先生やブルエン先生など今をときめくアーティストとも出会うなか燦然と輝くMVを見付けてしまった鯖味噌少年、それが他でもない『StaRt』でした。

当時の僕が「この人達はなんて楽しそうに音楽を奏でているんだろう」と思ったのをはっきりと覚えています。前々から好きだったサカナクションに投票するのも忘れて無我夢中でミセスを追いかけました。(この人受験生なんですけどね)

MVを出てるだけ聞き漁り、ナニヲナニヲの米欄にいるりょーちゃんのハゲを予見する兄貴で笑い、春休みには何故かアークソ一気見しました。

それからというもの僕の青春はミセスに象られていき初めてのCD(サママ)、初めてのライブ(当時はロゴスのキャパでした。今考えると恐ろしい)、初めての楽器チャレ(速攻で断念)、などの数々の童貞を卒業させ、僕がリスナーとして音楽に関わる根幹となり、Twitterを始めてネットキッズからツイ廃に成長する契機となり、言ってしまえばすべてでした。

アークソぶりのアニメ主題歌になったときは嬉しかったし、某女優たった1人にぶち壊されたときはキレたし、B級ばっかでもたくさんのタイアップを貰って蔦屋さんに褒められてどんどん伸びてもっと広まれって心から思ってたし、窪田氏のコミック原作のドラマOPになったときは狂喜乱舞で、でも意外と伸びなくて、自転車を漕ぎながら空を見上げれば新譜が晴れた空に架かり世界を音色に染め上げていった高3も、浪人してメンブレしたときに炎炎主題歌決まってついに時代が来たぞと喜んだことも、インフェルノで爆発的に人気になったことも、挙げればキリがないです。

 

 

そんなミセスも5周年迎えて去年紅白出られなかった雪辱を果たして今年は出るんだなってそう思っていた矢先に活休の発表がありました。

「なんか変なことまたやってるわ笑。まぁなんやかんやで戻ってくるやろ」

とかなんとか正直思ってましたがどんどん現実で現実味のないことが起きて、どんどん離れて行くにつれて遠くの海に浮かぶ思い出を述懐するようになりました。多分SOLの改編があってイマドキ色になってしまったのも大きかったです。

2020年はいつからともなく「俺の青春は亡くなったんだな...」とか「もう居場所だった場所は無いんだな」とかそういうロストな考え方ばかりするようになりました。ただそこにあったものが失われただけでその思い出すべてがもう手の届かない場所に行ってしまったように思えて、実際にそうでした。

ヒルな所は全く成長しないまま身体と見方だけが大人じみていき自分がニワカキッズのときには厄介に思っていた筈の懐古厨がそこに突っ立っていました。

つべやTwitterリプの米欄を見れば浅い考えのいいね稼ぎや自分語りが蔓延り、自己顕示欲に塗れたキッズを自分とは違うと本当は嘗て同じだったのに忌み物のように嫌い思慮がないと切り捨て、もうどうしようもないと、キッズもニワカも懐古厨もただ存在するのは変わらないと諦観するペシミストになっていました。

本当は厭世のなかに救いのあるミセスが好きだったのに成った自分は真逆で、そんな自分がどうしようもなく嫌いになってそしてまたそんな自分のいるこの世を疎んで厭うようになりました。

 

大学でネット上の友達に恵まれ、ゲームでストレスを晴らしてもこの行き場のない感情だけはどこにも投げられませんでした。

ですから今こうして青春のすべてであった彼らとこじつけてここに投げて、自分の存在を証明した訳であります。

 

 

先程のミセスLocksではブッチェ先生がめちゃくちゃ頑張っている最中だということ、まだまだ再開には時間がかかるということ、予想だに出来ないことがあるということなど様々なことが大森さんの口から語られました。

ミセスも新生活に向けて新生活しているんだなと思った次第です。今の世界はまるっきり新生活ですね。つかコロナですね。

例えばコロナが無かったとしてこれからの4月が同じ日々になるだろうかと言われたら案外そうでもない。ともすれば、実は日々新生活なんじゃないかと思っちゃいますね。(だからこその大きな枠組みの変化を“新生活“と呼ぶのでしょうが)

私は僕の自我しか持っていませんがきっと今貴方も貴方の隣に住んでいる人も“自我“を持っていて“人生“があってそこに至るまでのバックグラウンドがある。Mrs. GREEN APPLEに出逢った人々も大小様々にバックボーンがあってそんな暖かい人達に膨大な数に支えられているこのバンドの応援には杞憂民懐古厨厄介おじさんはもう必要ないのかもしれませんね。なんとなく「個々を見れば浅い深いあって悪い所目に付いちゃって『キッズが...』となるけれど「皆」になら任せられるのかもしれない」と思った人の長ったるしい話でした。

 

 

僕はこれを投稿して何が話したかったのでしょうか。今は“今の自分の気持ち“だと思います。

今の自分の気持ちを大海原にただ投げていつ消えるとも分からず漂わせておきたかっただけなんだと、今は思います。

 

 

 

感情のままに文を書き殴ると如何にして駄文となるかをご覧になれたと思います。やっぱパソコンで書けば良かった。

それでは。